何故いなくなる?


私が首都の会議やイベントと参加するため練習を3,4日抜けて帰ってくると

必ずといっていい
選手が数人自宅に帰っている…

あー
またか

もう始めから指導していた選手は何人残っているだうか。


せっかく
泳ぎよくなっていたのに
嫌だった体幹トレーニングも出来るようになってきて
泳ぎが変わってきた

そんな時に地元に帰る選手

理由を聞くと
地方から来た選手達は学校に行きたがっている

大学内の付属校への編入手続きがもたついているのは知っていたけど
来週から学校へ行けるようになるって聞いてたよ

なんで?

今回は男女合わせて7名近くも離脱

あー
もう何回この繰り返しをすればいんだろ

7ヶ月の長期合宿って
選手が入れ代わるんなら
長期にする必要ないじゃん

プロジェクトマネジャーの
パウロスに話しをした。

せっかく指導しても
選手はいなくなって
また新しい選手を1から指導

このプロジェクトは何がしたいんだ。今後もこの状態なら私は指導は続けられない。

パウロスさんからは
民族出身の選手達は、精神的に弱い。1人が風邪を引くとみんな体調を壊す。今回も1人が弱音をはいてそれに続いてゾロゾロ地元に帰ったようだった。

本当であれば
地方大会があって、勝ち残った選手がこの代表チームで練習すべきだが、ただの寄せ集めチーム。
選手自身が代表選手である自覚がないとパウロスは説明してきた。

今後はメンバーの入れ替わりはない
約束する!
これからもう一度頑張って指導してくれ


話しは分かった

親元離れて毎日水泳漬け
年末年始も地元に帰れなかった選手たち

そりゃホームシックになるし
自由を求めてしまう気持ちは分かる。

わたしに出来ることは何か
言葉も分からん
彼等の文化も分からん

7名離脱したのに
その日も変わらず練習を続けた
残された選手たち

コーチも選手も
集中力なんてない
グダグダの練習

仲間がいなくなっても
プールに来て練習をした選手

私が出来るのは
残った選手たちへのサポート

練習終わりに
少しだけ時間をもらって
アムハラ語と英語で選手達に話しをさせてもらいました。


まず
今日練習に来た事に拍手
彼氏や彼女、もしかしたら旦那や嫁がいる選手もいるかもしれないな。
選手たちに冗談交じりに質問をして
家族や友達と会えなくて寂しい気持ちは良くわかると言いました。

私も同じ。家族や友人は遠い日本にいる。2年間会えない。だから、選手たちの気持ちは分かる。

別に水泳で人生が変わるわけじゃない。家族を1番大事にして欲しい。友達を大事にしてほしい。地元に帰っても構わない。

ただ、わたしはここにいる
3月の大会まで私はここにいる。
親や家族の代わりはできない。
水泳しか教えてやれないけど、おれも精一杯がんばると約束する。

伝わったか分かりませんが
伝えたかったのは、こんな感じです。

話しを終えて
ちょっとだけ表情を明るくしてくれた選手たち

わたしの勝手な決意表明になってしまいましたが

何となくでも
変な外国人が何か自分たちの事を思ってくれたと気付いてくれたみたいでした。

水泳を楽しいと
成長を感じさせてあげれるような
指導をしていきたい。

実力不足ですが
自分の言葉には責任をもって
もっと良い指導ができるように勉強していきたいと思います。

お願いだから
いなくならないで…

選手の成長

エチオピアの新年が明け
新しく加入した女の子7名を
指導するようになりました。

はじめはバタ足すら出来なかった女の子達

2時間半の練習で400m泳ぐの精一杯

これは骨が折れるな
そう思っていたのに

毎日、朝と夕
確実に成長していく選手たち

指導始めて2週間で
クロールとブレスト(平泳ぎ)は形になって合計2000mのメニューもこなせるようになった

そして
1ヶ月たつと
合計4000mのメニューがこなせるようになってきた
泳法も完璧とは言えないけど
バタフライ、バックも出来るようになってきている

なんて
のみこみの早い子どもたちでしょうか。

凄いなー
初歩から教えたから
ストリームだけいったら男子より綺麗にとれる女の子7名

まだ身体の使い方がわかってない部分はあるけど

これからもっと伸びる


ダスネッチ語
ニャンガトン語
カファ語
シダマ語

選手たちのおかげで
アムハラ語に加えて民族毎の言葉も覚えてきました。


そして少しずつ指導の自信もついてきた。

本当に毎日が楽しい

選手たちと
カスバカス(一歩一歩)

子供が夢を持てない世界

選手達のモチベーションをあげたい

水泳で良いタイムを出したら
国際大会に行けるかもしれない

3年後には
日本でオリンピックがある

日本に行けるかもしれないよ

ある日
私がこう話すと
選手たちからの答えは

オリンピックには
水泳連盟の息子がでるんだよ

俺らは行けない
こう返ってきました…


日本でもニュースになった
リオオリンピックのエチオピア水泳選手

エチオピア水泳連盟の会長キュロスの息子が出場

タイムは100mFree style 1'04"
だんとつビリでしたが
拍手でゴールを迎えられたらしいですね。

私はこのタイム出せないレベルだし
エチオピアでも上位のタイムです。
(日本の競泳レベルだと中学生で100mFreeは1分切るのは普通らしいです。)

話しを聞くと
リオ前のエチオピア国内選手権で、
この会長の息子に勝ち優勝したのにオリンピックに出れなかった選手が私のチームにいたんです。

アチェラ18歳
身長は180cm以上
手足も長くパワーもある

ポテンシャル高い選手


オリンピックはコネが無いと出られない世界だという選手たち

子供が夢を持てない世界

誰がこんな状況で
もっと上を目指したいと思えるでしょうか。

頑張って優勝しても
そこで終わり…

私は
選手達にかける言葉は見つかりませんでした。


私の密かな目標は
3月の国内選手権で
南部民族州の選手がぶっちぎりで優勝すること

エチオピア
男子50m Free 27秒出せば間違いなく優勝できるレベルです。

しかし
南部民族州の選手達は練習量は十分
少し技術的に改善されたら
身体も大きくて手足も長い
25秒も切れると私は思っています。

伸びしろしかない

圧倒的な差を見せつけ
今度こそ
実力で国際大会に出場する選手が出て欲しい

そして
子供たちが夢を持てる世界になって欲しい

これが
私の願いです。


いつもアホな事をする
お調子者アチェ

バナナ1本じゃ足りないとゴネるアチェ

4th Report

約1年前に配属長と交わした約束
活動レポートの提出

彼との関係は
会っても挨拶もせず
空気のようなモノなりましたが
約束は約束

7~9月の活動レポートを職場に提出しました。

だんだんレポートの形にするのは慣れてきましたが、英語は相変わらず

今回は
赤ペン先生ことアツネーに
起承転結で書いてある文を
結論から述べましょうと
文の構成の指導を頂きました。

これは難題

SoやThereforeの後の文を文頭に持ってくるようアドバイスを受けましたが

頭を英語にする必要がある

最終的に提出出来たのは10月中旬

もう結論から述べられているかも
分からなくなるも…
何とか提出

以下
試行錯誤の末
方向性が見えなくなった
4th Reportです。






アーメン

アーメン

先日
同僚のイサック宅で3歳になる息子さんの誕生日に出席しました。

イサック家系は
厳格なプロテスタント

お祈りが欠かせません。


午後2時にイサック宅に着くと
聖書を持った人が集まっていました。

すると
アーメン!!

アーメン!!
アーメンアーメン

アー!!
メン!!

怒鳴るような大声で
アーメンの連続

牧師的な人が
出席者を1人ずつ立たせ
聖書を持って神からの言葉を代弁していく

女性は悪魔が乗り移ったかのように
大声で叫び暴れ

牧師が何かを唱えると
気を失い倒れる

最初は驚きましたが
何度も同じような寸劇が繰り返されるので、途中は退屈でうたた寝をしてしまいそうになる。


そして私の番
アーメン
①あなたはインドから悪いモノがついてきている。
②あなたの災いはあなたの履いているトレッキングシューズが身代りになって守ってくれるでしょう
③あなたは4年後結婚するでしょう。

アー!メーン!
聖水を頭にビシャ!

どうもありがとうございます。
①→確かに15歳でインドに行ってなかったら、こんな辺鄙なストレス溜まるエチオピアなんて来てないわ!正解

②→靴が身代りになってくれんか
ありがとう

③→私もそのくらいで落ち着きたいと思っております。


昼2時から夕方6時ごろにまで
この繰り返し

もう頭がクラクラ

信仰心って凄いですね。

エチオピアキリスト教徒が多く
エチオピア正教として独特の宗教感があります。

オーソドックスと呼ばれる宗派と
今回のプロテスタントに大きく分けられます。

すっかり訪れた目的を忘れてしまいましたが
刺激的な誕生日会でした。

アーメン


イサックの息子ゲテヤロ君
この後お母さんに悪魔が乗り移ってギャン泣きしてました。

エチオピアの新年

エチオピアの新年

だいぶ遡りますが
9/12はエチオピアの新年でした。

1ヶ月が30日
1年が13ヶ月あります。
最後の13ヶ月は5~6日しかありません。
ちなみにエチオピア歴で現在2010年です。

本当に独特な文化も持っているエチオピア

普段からエチオピア歴で物事が進むのでスケジュール確認は至難のわざです。


そして9月末に新年の祝日
マスカル祭が行われました。

新年とは2週間ほど遅れてのお祝い
意味が良く分かりませんが
盛大に祝われます。

巨大なキャンプファイヤーが各地で用意され
白い民族衣装を纏い歌を歌う

今年は
指導してる選手達と
彼等の宿舎の前で火を囲み
火の回りをひたすら走って踊って、歌って、この日を過ごしました。


去年は
首都に退避してドミトリーとホテルで適当に過ごしていたのを思い出し
活動が出来ていることを噛み締めました。


祭の翌日は
アベラ宅に呼ばれて
テレスガ(生肉)を頂きました。

この国の1番のご馳走は
生肉です。

日本では食中毒で死んだ人もいるから、最近は食べなくなったとアベラに話すと

エチオピアでもたまに死ぬよ!ニコ

かる〜く
言い返すアベラ

笑えない…

何でも食べ過ぎは禁物
気持ちだけテレスガを頂き
後は焼いてもらいました。

今年も良い年になりますように!



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アフリカ生活

日本で熱が出た、
喉が痛い
あー今日は早く帰って寝よう

そんな時
1人暮らしだとしても
コンビニやそこら辺のチェーン店で食事を済ませられる。

しかし
ここはアフリカ
コンビニもレストランもない

先ずは
頭が痛い喉が痛いと言う前に
安全に家に帰らねばならない

少しでも隙を見せれば
襲われたり、怪我を負うかもしれない

いつも以上に
足下に注意を払い
穴がないか、野良犬が寝てないか

浮浪者が隠れていないか
周囲の危険に気を配り
体調悪くて背筋が丸くなるところを
胸をはり顔をはる


誰も守ってくれない
自分の足で帰るしか手段はない

家に帰りさっさと寝たい
しかし
腹が減った

体調をよくするには栄養を取らねば

簡単でも
野菜を切って火にかけてスープを作る

あー面倒だ
しかし
自分でやるしかない

どうせ作るなら美味い方がいい
こんな時こそ
実家から送られた出汁パックに味噌を入れて
野菜たっぷりの味噌汁


身体に染み渡る

あー日本の味



どんな時でも隙を見せてはいけない

救いなのはエチオピア銃社会でないこと


日本は安全で平和で
モノが何でも手に入る
素晴らしい国だと

アフリカで暮らすと感じます。