終わりに

 

ブログもこれが最後の投稿になると思います。

最後に私がボランティアをさせてもらいながら感じていた思いをつづります。

ボランティアに参加するまでの過程
エチオピア生活中

私は沢山の方々に支えられてきました。

まず大きなサポートは
私の現地での生活手当、訓練等含めて全ては国民の税金から捻出されているものでした。

エチオピアで生活していて
資金面では何一つ困る事はなく
安全な居住区に住み

体調崩せば飛行機で首都の医療機関を受診する事ができました。

前職を辞めて
市役所に税金諸々を納めに行ったら
何十万円の額で納付した事を覚えています。

私が今日食う飯も、飲むビールも全て税金

それに対して
ボランティアは何も見返りを求められない

いろんな考え方があるんでしょうが
自分の親が友達が汗水垂らして稼いで納めた税金で生活させてもらえる事に日々ただ感謝するだけでした。

だから
何か少しでも形を残したい
みんなに顔向けできるような日々を送らねば、一銭も無駄にはしたくないと思って生活してきました。

私のモチベーション維持できた大きな要素です。

そして
たまに開けるSNSからは
日本で頑張る同世代の姿に奮起させられ

結婚した、子供が産まれた知らせに
驚きと憧れと癒しを貰いました。


帰国してから
お会いした皆んなに言われる言葉

凄いなエチオピアで2年
お勤めご苦労様


ありがたい言葉なんですが

私からすれば
日本社会で毎日精進してきた貴方の方が
結婚して家族を持った貴方の方が

よっぽど凄い!!

私が過ごした2年も
貴方が過ごした2年も

同じ2年で
いろんな事を乗り越えてきた日々

日本って本当に凄い国
人間はオートマチックなシステムを作るけど、それを実現するのは人間

普通の国
システムを作っても実行する人間がそれに対応できずに多くの部分に不自由が生じるもの

同じ先進国でもバスや電車が遅れる、ストライキで公共交通機関が機能しないこともあるのに

日本は絶対にそんな事ない
実行する人間も規則的に働く事ができる社会

本当に凄いことだし
他の国は絶対に真似できないと思います。

しかし
これは一方で、人間が人間らしさを失ってしまっているとも感じます。


人間は機械じゃない
ミスをおかす

しかし日本人は機械と同じように
正確に時間通りに精密に仕事する事が普通になっている。

これは
少しの期間なら出来るかもしれませんが
一生これを続けることは人間の心に無理がくると思います。

失敗する事が許されない社会
日本人は本当に凄いと思うんですが

いやいや
人間だよ!
無理しないで!

とアフリカから帰ったばかりの私は感じてしまいます。


スローライフを推奨するつもりもなく
私も今一度、日本の競走社会に飛び込もうお思っていますが


無理せず
辺り前になっている事も
誰かが頑張ってくれたからだと
一つ一つに感謝する事で

もっと普段の毎日が幸せに感じるんじゃないかと思います。

機械的に見えても
その影で頑張っている人が必ずいると思います。

日本って本当に凄い
みんな凄いなー

こんな国に産まれてこれて私さ幸せです。


まとまりがありませんが
購読して下さった皆さん
いい文章は書けませんでしたが
2年もの間
読んでいただきありがとうございました。

ブログでも色んな思いを綴ってきましたが
ここに書けない内容も沢山ありました。

 

書こうと思ってたタイトルだけで以下のようなもの感じで

 

目標管理

エチオピア女性の口説き
エチオピアの車事情
鳥のさばき方
至福のひと時
日本米
ソヤミート
青年海外協力隊
とろとろバナナ

 

何か興味ある方はお話しますので、お気軽にお尋ね下さい。

ネタは山ほど拵えてあります。

2年間お付き合い頂きありがとうございました。

世界のどこかで会いましょう!

あっ
最終報告書が下のURLで近日中にアップされると思うのでよろしければこちらもどうぞ

https://www.pref.miyazaki.lg.jp/allmiyazaki/kanko/koryu/page00383.html

Youは何しにアフリカへ?

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わたしがボランティアに参加した理由
15歳の時に行ったインドの経験がずっと頭に残っていたから

そして
経験も専門性も語学も乏しい私が若さだけで途上国で何が出来るのか。

これを知るために参加しました。

 

15歳の夏休み
ハッピーバリーという団体のプログラムに参加。

インドのバンガロールに降り立った時
途上国独特の香りを体感
(生温くてもわーんとした感じ?)
わたしだけの感覚だったらすみません。

そして
車で移動していると
物乞いの人々が道端の至る所に
そして、その人達は手足がない、目がない、耳がない
この国で戦争が起きたのか?
同乗してた大人に質問すると
アレは物乞いするために親が子の手足を切るんだよ
と聞かされました。

この時の光景と会話、匂い
15歳からずっと今も忘れることはありません。

そして
この時に、こんな世界を救いたい変えたいと思いました。

そこから
何かしら私の人生選択でこの経験が頭によぎりました。

大学で
自分の努力が人の命を救うと先輩に言われ
ライフセービング部に入部

 

就職先は
国内でAEDなど製造販売する
医療器機メーカーへ

 

単純なので
人のためなるとか
命を救うとか

そういう事を感じられる場所を選んでいった気がします。

前職の仕事はタフな仕事内容でしたが
病院を回って、医療現場に携われるのはとてもやりがいを感じていました。

しかし
同時に日本社会にどっぷり浸かっていく自分との戦いでもあり

今、世界のどこかで何が起きているのか
あのインドの光景は変わらないのか

ずっと自問自答のような感じでした。

 

周囲の人たちに
ボランティアに行こうと思うと相談すると

私も行きたかった
行こうとしてたけど…

意外にも沢山のひとが一度は考えることなんだと知り、更にタイミングや勢いがあるというのも大事なんだと感じました。


最低でも3年〜5年は勤めてから
そんな気持ちでしたが
行きたい時に行かなかったら
機会は作れないんだ
直ぐに行こう!

こんな感じでボランティア参加を決意。
決意して実行するのに
沢山の方々のサポートがありました。
本当に感謝仕切りれません。

 

そして待ち待った
ボランティアでアフリカへ!

要請書はざっくり
必要だと思われるスポーツに関する支援を自分で見つけて2年やってきて!
(だいぶまとめました)

だから
何でも来い!っていう勢いで乗り込みました。

 

退避したり、活動地が変更なったりしましたが

エチオピア人は本当に素直
友達や家族を何より大事にする国民性

その一員として受け入れてもらうには
現地語、ローカルフード、小汚い格好に挑戦してエチオピア人になりきろう

 

エチオピアの結婚式で
いつもの服装で参加したら
お前は本当にこんな服しか持ってないのかと心配される程。

 

こんな感じでエチオピアに溶け込み

 

エチオピアで何が出来るのか
自分の出来る事を一つ一つやってみる日々でした。

出来る出来ないかは
挑戦してみたら分かる

何でもやってみよう!

専門外の事でも
分からないなら調べたらよい

半年で結果を出せと言われたら
私には無理でしたが
2年間あれば何度も挑戦して失敗できる時間がありました。

 

英語も出来ないし(TOEIC415点)
水泳知らない
水質管理知らない
子供への指導経験ない

 

何にも知らない出来ない私でしたが
何とかなりました!

 

逆に専門性があってプライドがあった方が難しかったんじゃないかと今は思います。

新入社員じゃないけど
分かりません。調べます!
が言えるのが強味かなと思いました。

 

という事で2年間は
本当に沢山の人に質問して、助けてもらいました。


そして
エチオピアで出会った人達と
膝をつけて話し合う
心を通わせる事が出来るようになりました。


何も出来なくても
何とかしたいという気持ちを持っていれば
沢山の人が助けてくれて
信じてくれて
沢山の仲間ができました。

 

 

2年終えて
ボランティアとして
今の私が出来ることをやりきったという感覚です。

 

 

そして次に何をすべきか何となく見えてきました。

次はボランティアでなく
ビジネスでエチオピアやアフリカの人達と関わりたい。

 

一方的な援助でなく
お互いに対等な立場で仕事が出来るようになりたい。

エチオピアでビジネス…
ポテンシャルは高いものの
あからさまに治安や教育の質など
根本から見直すべき課題が多すぎて
途方にくれてしまう。

でも
いつかビジネスでこの国の人や産業を豊かにしたいと夢ができました。

勿論
日本も私もそれで豊かになりたい

 

まだまだ先は分かりませんが
2年の生活を終えて、これから先の目標が出来ました。

この夢を少しずつ
具体的に明確にして準備して
挑戦していこうと思います。

何故アフリカ?
何しにアフリカ?
何を学んだの?

他にもキリがないない程
いろんなエピソードや思いがありますが
こんな感じで私はアフリカに行きました。

 

 

あれから20日

 

日本に帰国して
あー不自由のない世界
に戻ってこれた

生活の至るところに感心して
褒めちぎってしまう毎日

あー何しても幸せ
家族がいて友達がいて
文句なし!


でも
不自由も悪くなかったなー
車が壊れて、トボトボ歩いた道も
約束の時間に人が来なくて待ちぼうけした時間も
全てが貴重だった事に気付く毎日でもあります。

あっ!
車買いました
走行距離130,000km
黒の軽自動車です。
破格の値段で購入


足代わりに使ってよー
(整備工場のおっちゃん)
しばらくこれで我慢しろ(親父)

いやいや
充分過ぎるの

走行中にドア外れないし
自動ウィンドウ
クーラーまで完備

文句のつけようがないよ!


どんな事にも驚きと幸せを感じる日本の生活を送ってます。

 

23個の金メダル

エチオピアから嬉しい知らせ!

私が指導してきた南部州の水泳選手達が
6月末〜7月上旬に行われた
エチオピアの国内選手権で23個の金メダルを獲得したようです。

私が帰国した翌日から大会が始まり
毎日、金とったよー!
と写真やメッセージが届きました。

本当に嬉しい

最後に彼らの有終の美を見れなかったのは残念でしたが、わたしの予想通りの結果を残してくれました。

プロジェクトリーダーから昨年8月に
20個以上の金メダルを獲得したいと言われてた事もクリアし
100点ですね!

ここまでの道のりは
振替えるのも大変…

約9ヶ月におよんだ水泳指導
度重なる問題、問題、問題…
もう投げ出してしまいたい時もありましたが、それは泳いできた選手も一緒


水泳指導なんて一度した事ない私ですが
毎日オリンピック選手の泳ぎや、トレーニング方法を研究して試行錯誤を重ねました。

しんどい事や心拍数があがるトレーニングが大嫌いで直ぐに断念してしまう国民性

いろんなトレーニングドリルや
自作の水泳用具なんかで
飽きさせないようにして

少しずつ
競泳の練習メニューに近づけていきました。

クロール、バタフライ、平泳ぎ、背泳
それぞれメニューを作成して
練習前に個別に説明
練習中は水の中で指導


そして
選手のタイム経過を掲示
前回大会の優勝選手のタイムを基に
目標タイムを設定して

それぞれ
個別目標を立てさせました。

既に3月の段階でほとんどの選手が前回大会の記録を更新しており
後は私が設定したタイムに到達するだけの状況
(他に大差をつけて優勝して欲しかったし、それが出来る環境やポテンシャルがあると思ったから高い目標設定にしました。)

更に
私が練習メニューの紙1枚渡せば
選手だけで練習ができるようになっていました。

男子チームの金メダル量産は間違いない
女子も金メダルは取れなくて銀、銅は取れるレベル

しかし
大会を目前とした6月は
チフスマラリアが大流行
練習したくてと出来ない選手が続出

最後までトレーニングに付き添えませんでしてが

競泳で行われている
大会に向けたテンパー(試合に向けた調整)メニューを4週前から導入して
最終調整、試合当日のウォームアップの方法に至るまで反復して教え込みました。

病欠、国家試験と重なったり
思うような調整は出来ませんでしたが

選手達、プロジェクト関係者も
私の方針に賛同してくれました。


最後まで理解し合えなかった問題コーチ達には

もう最後だったし
私の代わりを務めてもらわないと困るので
正直に気持ちを伝えて理解を促しました。

本当に分かりやすく
“お前の事は大嫌いだ。何度も問題起こしては姿をくらまし、大事な大会前だけ顔を出して、俺が教えてきた内容を無視して指導したがる。ふざけんな。まず、俺にごめんとありがとう言えよ!俺も人間なんだわ!xxxxxx
大会は君が引率するんだろ!君は何もせずに応援しておけば、選手は勝手に金メダルをとるから余計なアドバイスや指導はするな”


ここまでハッキリ言って
やっと分かってくれました。

23個の金メダルが取れたのは
この問題コーチもちゃんと協力してくれたんでしょう。

選手達へも
腹が立って思いをぶつけた事もありました。

“お前ら毎晩9時前に寝てんだろ!俺は毎晩君らのトレーニングメニューを作成するのに夜12時まで準備してるんだよ!

~食事を例に~
毎日、最高のチキン煮込み(ドロワット)を作って、食べてくれない…辛くしたり、甘くしたり、食材変えてみたり
いろんな試行錯誤してるのに、みんな残す…
何でなんだ?
嫌いなものはないか?何が好きか?
俺は毎日聞いて作って、体調に合わせてアレンジして、それでも食べてくれない

意味が分からない
俺も人間なんだ
お金も貰ってないボランティア
君らが好きだから
サポートしてるだけ

ロボットでも神様でもない
俺も人間なんだよ!

外国人だけど俺も人間なんだよ!
わかるか!


こんな感じで
選手達に自分の気持ちを伝えた時もありました。


やっぱり最後は人と人

神じゃないし
思った事は伝えないと分からない。


この事で最後に
選手やコーチ達とぐっと近くなれた気がしました。

唯一英語が出来る選手からは
Facebook を通して
個人で5つもの金メダルを取れたのは
全てコウタロウの仕事だ。
感謝しても仕切れない
ありがとう

とありました。

本当に嬉しいメッセージでした。
これは頑張った選手が凄いんですが

大会を終えて
こんな一言が言える人間になってくれたんだという面で更に感激しました。


最後にエチオピアの水泳についてコメント

エチオピアは競泳するにはまだ早い
これが私の結論です。

何故なら
チフスマラリア、沢山の病気が蔓延していて、体内にこれらの病原菌を持っていたり、感染しやすい環境で生活している現状でハードなトレーニングを継続する事が困難。

これは私が自分の身体を通して理解したことです。
日本のイメージでトレーニングで追い込んで、疲労する。するとマラリアチフスを発症する…

何故頑張れない?
きつい練習が嫌い
直ぐに練習を休む

だからタイムが伸びないんだ!

こんな感じで思っていましたが

いやいや
日本のように練習して
疲労困憊になったら抵抗力落ちて
病気なるし、下手したら死ぬ

マラリアチフスも重症化したら死にます。

彼らは根性無しでなくて
自己防衛してるだけ

これがエチオピアで競泳がまだ早いと思う理由です。

私が設定した目標タイムは惜しいところまでいきましたが、未達のまま
私の指導者としての力量に非がないとは言えないものの

衣食住がまだまだ貧しい国です。
たぶん
国が発展していけばスポーツの競技レベルも上がっていくと思います。


さらに
私が指導した15~18歳の13名の水泳選手はいい泳ぎをするし、素晴らしい指導者になると思います。

彼等が指導者となって10年後、20年後のエチオピアの水泳は間違いなく変わるはずです。

自分ではどうしようもない課題もありますが
未来に種をまけて

彼等と過ごした9カ月間は私の宝物だし、今後の財産です。


本当にありがとう
君らを誇りに思うよ

と選手たちに返信。

いつかまた会いたいな
東京オリンピックでの再会あるかも
ちょっと夢ができました。

 

送られてきた写真たち

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 男女年齢は15歳~18歳

※大会時の記録ではありません。

男子はエチオピアでトップレベルのタイムです。

女子はタイム的にはまだまだですが、半年前までバタ足ができない子たちで4泳法を習得して大会に出られる段階にこれたと考えると男子より頑張ったと思います。

日本の競泳と比較するとかなりタイムは遅いですが、手足が長く川や湖で泳いできたエチオピア人のポテンシャルはとても高く、今後もっと良いタイムを出す選手が出てくると思います。

 

 

Back to Japan

帰国

2018年6月29日 22:30 成田国際空港

まる2年間のエチオピアでの全ての活動が終了し日本へ帰国しました。

生きて帰ってくる
これが1番の目標でした。

エチオピアを離れる機内に入っても
日本の税関?を通過しても
信じられない心境でした。

帰国ゲートで
弟、おじさん、大学ライフの友人が出迎えてくれました。

久しぶりの再会に嬉しいも
まだ緊張が取れない自分

待ちに待った日本食
もう都内のホテルに着いた頃は1時を回っていても開いてる居酒屋がある!

素晴らしい
あり得ない
という感覚

魚が食いたい!

たまたまオススメにあった
炙りしめ鯖

うんまっ!!!!!

めちゃくちゃ美味い
涙ぐんじゃいました。

その後も二口食べたら
弟に回して
いろんなものを沢山食べました。

幸せだ!

その後も
都内で事後研修があるため
しばらく滞在

ライフの同期、NK同期、順天堂の恩師を訪ねたり、沢山の人が時間を作ってくれて会ってくれました。

忙しい中皆さんありがとうございました。
そして
せっかく連絡をくれたのにお会い出来なかった方々は大変すみませんでした。

そして
7月6日
実家の宮崎へ帰省

飛行機から宮崎の海を見て
空港に降り立つ瞬間は

これまで2年間張り詰めていた
気持ちと肩の緊張が
スっと
溶けていき
機内の中で大号泣しかけました。

何とかこらえて
帰国ゲードへ

迎えきているだろう
親父と姉に会ったら
これは取り乱すと思い

トイレに行って顔を洗い

さー心を鎮めて荷物を受け取り
ゲートの外へ

あー
これはやばいなーと思いつつ
家族を探すも

まだ着いておらず
ちょっと拍子抜け

私が到着時間を言い間違えてたらしいです。

おかげさまで
気持ちを整えて笑顔で家族に再会

1歳半になる甥っ子にも
まさかの物凄く懐かれてしまい
予想裏切る
笑顔いっぱいの帰省となりました。

待ちに待った実家での風呂
あー気持ちいいだろうなーと思っていたら

ここから叔父さんパワー全開で
甥っ子を風呂に入れていたら
ゆっくり疲れを癒す事も忘れていました。

まさしく
これが日本
世界は自分中心には回らない

その後
幼馴染たちにも会えて帰国報告

家族がいて友達がいて
やっぱりホームが1番ですね。

 

あっ
帰国から約1週間は
アフリカヘヤスタイルでした。
もう二度としないだろう髪型なので何枚か貼っておきます。

1週間だけだったのは、暑くて蒸れて臭くて、日本に帰ってきたのに自分が汚いままだっと感じのが嫌だったのと、だいぶハゲました。ドレッドは将来に負の遺産を残しかねません。

No longer Japanese 

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別れ

2018年6月21日

全ての活動を終了して
活動先のアルバミンチから首都アディスアベバに引き上げる日でした。

この日を迎えるまでの
最後の一週間は

最終報告書の作成
プレゼン準備
片付け
送別会

もう大変でした。
さらに治安もとことん悪くなってて
送別会の帰りに三輪タクシーが一斉に消えて、夜道を歩いてると目の血走った警官に銃向けられるし…

ヒヤヒヤする一週間でもありました。

水泳チームや
アルバミンチ大学の同僚達
本当に大勢のみんなが送別会に来てくれて

すっごい沢山のお土産をいただいて
みんなで肉を食らって
ビールを呑んで

改めて
こんなにいい人達に囲まれて生活していたんだなーと感じました。

21日のお昼の飛行機で
どうしても皆んなに最後会いたい
送別会のお礼がしたいと思って

朝食に招待しました。
20名来てくれて
朝から生肉やら肉、肉肉を
食ってビール飲んで乾〜杯

そんで大学に行って
プール倉庫の掃除
プールを出て一礼した時はこみ上げるものがありました。

それから
慣れ親しんだコーヒー屋さんへ

私が片思いし続けた
ヒルトゥちゃんとも記念撮影
最後のコーヒーを出してもらいました。

あー
ここでコーヒー飲む事も最後かー
アベラ、ツガイ、アイヤロの
おっさんライフセーバーが喧嘩するたんびに
コーヒー飲ませて、なだめたなー

アホみたいな事から真剣な話しまで
ここで過ごした時間とコーヒーの味
忘れたくないなー

大学から空港までは
副学長のレチャレさんが車を二代用意してくれて大人数で爆音で移動

アホやなー
全然悲しくないし
むしろ爆笑


そして空港
荷物を降ろして最後の記念撮影

みんなと別れの握手とハグ

これまでずっとこらえて
最後まで涙は見せてきませんでしたが

アベラと抱きあった瞬間に
涙が止まらなくなりました。

彼と出会えたから
彼がいつも一緒だったから
やってこれた


エチオピアなんて
これは何かの罰?
頭痛い、腹痛い、熱が
ボラれ、石を投げられ
殴られ、蹴られ

あーこんなエチオピア嫌だ
日本に帰りたい

と何度思ったか…

でも
最後は本当に来て良かった
こんな素晴らしい人たちと出会えて
貴重な2年を過ごせて良かったと
心から思えました。

ありがとう
いつかまた会おうな!

アベラと涙を拭って笑顔で別れ
晴れ晴れした顔で
思い出の詰まったアルバミンチを離れました。

 

アムセグナッロ!!

 

“さよならの時はいつだって少し怖いけど

これも希望のかたちだってちゃんと分かってる

思い出に変わるのはきっと最後の最後さ

笑ってさよならを言えたら良いな”

 

かりゆし58

おわりはじまり

エチオピアで大好きになった曲

 

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Final presentation "奨励 挑戦 協力"

2018年6月19日

2年間の活動を閉めるべく

最終報告会を配属先のアルバミンチ大学で行いました。

 

準備にぎりぎりまで時間がかかり

ほとんど寝ずに資料を作りました。

そして聴講者が配属先の同僚たちであるため

Allアムハラ語でやることにしました。

 

日常会話で

90%アムハラ語

9%ガモ語

1%オモラテ語、カファ語、シダマ語、ニャンガトン語

 

を使って生活してて

英語を話す機会なんてほとんどなかったので

何の練習もなしにアムハラ語で30分プレゼンできました。

 

やってきたことは嘘つきませんね。

もうエチオピアを出たらこの語学力はどこにも活用できませんが

ここで活かすことができてよかったです。

 

このプレゼンの目的は

ライフセーバ達の働きぶりを大学のお偉いさんたちに示すこと

ちょうどプレゼン後にレッスンを受講した参加証渡すセレモニーが予定されていたので

その前座的な意味合いで資料を作りました。

 

最後に伝えたメッセージ

私がエチオピアで学んだこと

 

Encouragement, Challenging and Cooperation

(奨励、挑戦、協力)

 

この3つが揃えばエチオピアでもいい仕事ができる

 

「奨励」

私はずっと高いモチベーションで活動ができたと思っています。

それは、アベラ達同僚の働く姿に感動したから

朝早くても、40度以上の暑さの中でも

真面目に仕事する彼らの姿勢

何度も折れそうな心を立て直してもらえました。

 

「挑戦」

彼らと多くの事に挑戦してきました。

水質管理、フェンス修理、道具の作成

 

分からない、やったことがない

じゃートライしてみよ。

トライしたら何が良いか悪いか分かるね。

もう活動終盤の会話では何か問題起きたら

この会話が定番になっていて

どんな問題があっても乗り越えていける気がしました。

 

「協力」

挑戦する中で、どうしても高い専門性が必要な時がありました。

そんな時は素直に

分からないから、質問しにいきました。

大学のいろんな部署を尋ねました。

そして快くどの部署の人も協力してくれ

大きな問題も解決できました。

 

エチオピア人からよく耳にする言葉

ハベシャ ミニン アイチリム(アムハラ語)

Ethiopian can not do anything.

 

支援慣れしてしまっているエチオピアの人々

お金がない、貧しいから僕らには出来ない

考える事をやめて不平不満ばかり述べる人たちばかり

 

アベラ達からも、赴任当初はよく聞かされた言いわけでした。

 

本当に何もできないのか。

私はできる事を証明しました。

 

私は

アルバミンチ大学からもJICAの業務費も使わず

活動してきました。

 

大金を使わず出来る事を少しずつやってきた、

奨励、挑戦、協力

があればどんな問題も解決できることを身をもって体験した2年間でした。

 

やればできる

自分たちで世界は少しずつ変えられる

 

 

素晴らしい経験をさせてもらえた

素晴らしい同僚たちに出会え過ごした日々は

私の一生の財産になると思います。

 

本当にありがとう。

 

“Encouragment, Challenging and Cooperation” make us the grateful work and bright future.