やれる事をやるだけ


3月中旬
同期の帰国とアムハラ語研修で10日程、任地を離れる予定を立てていました。

ここでずっと不安だったのが
教えてる選手達がまたいなくなってしまう事…

1月末から私がメニューを組むようになって皆んな練習を楽しんでくれるようになりましたが

私がいないと
休むな
もっとだ
スピードをあげろ…
2時間言いまくるだけの練習

私が留守の間もちゃんと練習を行うにはどうすべきか

Fr short クロール短距離
Fr long クロール長距離
Br 平泳ぎ
Ba 背泳ぎ
Fly バタフライ

毎日この5種目のメニューを作っていたんですが

これを2週間分作る事に決めました。
そして
メニューの紙を見たら
選手達だけで練習が出来るように指導を繰り返しました。


5種目×2週間(12日分)日曜:休み
60個のメニュー作成…

頭から煙りが出ながらの作業

もともと水泳指導とか水泳自体知らない私は毎日各選手の課題を見つけて改善できる練習ドリルを調べて試す、また調べては試す事を繰り返しており

5つのメニュー作るだけでも相当な時間を要してました。

4月の大会に向けて
大事な時期にチームを離れる事は避けたかったんですが

メニュー60個作り
選手たちを信じる事にしました。

出来る事はやった
また選手は減るかもしれないけど
自分の中で後悔しないように
やれることはやり尽くす

そして
もう一つ不安だったのが
この時期、エチオピアは首相後任が決まったばかりで治安が不安定

一度任地を離れたら退避命令が出て、任地に戻れない可能性もありました。

なので
2週間分のメニュー を手渡し後

お別れの挨拶も行いました。

いつも私が任地を離れる度に
離脱する選手達
お別れの言葉するかけてあげれずにいました。

今回は私がいなくなる可能性の方が高いんですが…

君達だけでもう十分やっていける
自信をもって
4月の大会は必ず勝てる!
ロードブロックが解除されたら
戻ってこれるから祈ってて
もし戻ってこれなくても
君達が家族持って子供が出来た頃、またエチオピア来るからさー

と冗談交じりに挨拶


10日後に再会できるか
不安を感じながらも首都アディスアベバ行きの飛行機に乗り込みました。


何とか作りあげた練習メニューの一部