何をしにきたのか 何ができるのか
昼食に肉が食いたくなり
同僚に最近紹介してもらったローカルレストランに1人で出かけました。
食事をしていると
ストリートで暮らしているであろうボロボロの服を着た5歳くらいの子供3、4人が見えました。
店の入り口側ので食事を済ませた人が手を洗いに立ち上がった時を見計らい
皿の上にあった肉のついていない骨に群がり
店の人はそれを見て
子供達を追い払う
私の皿の上には
炒められた肉がのっている
骨
この肉あの子達に食べさせる…
でも自分も腹が減っている
私は皿に乗った肉を腹一杯食いました。
食べながら
俺は何しにきたんだろうか
同僚達や選手たちも自分を必要としてくれている
毎日嬉しい忙しさに追われて
充実した生活
でも
水泳教えるより
この子達に肉をパンを食べ物を提供して、お腹を満たしてあげる方がよっぽど今のエチオピアには必要な事なんじゃないだろうか
ただ
ここで子供達をよんで食事を与えたら、人が人をよんで一瞬で食べ物の奪い合い、わたしも僕も、みんなが自分に言い寄ってくる事が想像できてそれをしない自分。
腹が減って
肉が食いたい
私も子供たちも同じ感情だったのに
何が違うのか
仕事して金を稼ぐ
学校にいって教養をつける
その両方とも彼等には出来ない
わたしは当たり前に学校にいって
勉強して大学まで出させてもらって
ここにいる。
自分が彼等だったらどうするか
骨でもかぶりつきたくなる
金を持ってそうな人がいたら
金をくれという
何も変わらない
この差は何なのか
何しにきたのか
エチオピアで2年近く過ごして
いろいろやってきたつもりだったけど
降り出しに戻ったような
気がしました。
モノを与える
教育
支援
いろんな捉え方、考え方
やりようはあるんでしょうが
自分の感情だけをここでは書きました。
何しにきたのか、何ができるのか
もう一度考えます。