ヒガッチ

私の水泳の師匠こと
比嘉くん
通称ヒガッチ

私がエチオピア着いた3ヶ月後に
水泳隊員として派遣されてきて

歳も一つ違い
沖縄出身で顔も濃い

仲良し南国コンビの2人

そんなヒガッチが10月末で
エチオピアを旅立ちました。

私と同じように治安悪化で活動先が変わり、
首都のユーススポーツアカデミーで活動をスタート

しかし
アカデミーのプールは故障中のまま数年使えない常態

ホテルのプールを借りて練習するも
月の練習回数はわずか

使用料未払いで
それすらも実施困難になることもある

草の根レベルで何か出来ないかと
水泳の紙芝居を作り
幼稚園に読み聞かせにいって
将来エチオピアに水泳が根ざすように

水泳が教えれなくても
出来ることを探してやっていました。


私が首都あがる度に
お願いして水泳指導をしてもらい

おかげで
私の泳力は驚くほど向上
(スピードは別にして…)

選手に対して
速くはありませんが
綺麗な4泳法を魅せれるようになったんです。
(まだまだ課題はあります…)

本当に教えるの上手いんですよ
水泳って根性で
しんどいサークル回れるようにならないと綺麗な泳ぎになっていかないと思っていた私の常識を覆してくれて

いろんなドリルの中で私の癖を修正してくれました。

本当素晴らしいコーチ

スイマーの私のイメージは、
小さい頃から水と友達で
感覚で生きている人が多い。

野球で例えるなら長島さん的な

水に手が入ったら
グー グッ スー
だよ!
みたいな

私は運動センス無いので
これでは分からないんです。

オリンピックで金メダルとるような天才達はこういう会話が成り立つんですよね。

一般ピーポーにとっては
理解し難い領域

話しを聞くと
ヒガッチはずっと水泳してきたけど
インハイ、インカレも出れなかった選手のようです。

それでも続けてきた水泳

ヒガッチに失礼ですが
凡人は人より練習する必要がある
それも考えながら
いろんな練習を試して
やっと人並みにできるようになる

私もそちら側の人間なので分かります。

トップ選手になれませんが
一つ出来るようになるまで
試行錯誤するので
人に技術を指導する時は
その経験が活きるんです。

私自身、身をもって感じていた
ヒガッチの指導力の高さ

指導する機会がもっとあれば、エチオピアで素晴らしいスイマーに育てられるだろう


2人でエチオピア国内を回って水泳のコーチングセミナーが出来ないか
いろいろと考えた時期もありました。

そんなある日

エチオピア水泳連盟の会長が
JICAオフィスに直々に来て
比嘉をU10水泳合宿に明日からきてもらえないか
沢山の子どもたちが比嘉を待っているとリクエストしてきました。

普段活動がなく悩んでいたヒガッチにとってありがたい話し

直ぐに準備をして
地方にとんだヒガッチ

しかし
そこで待っていたのは

会長キュロスの息子3人を指導する
個人レッスン

U10の合宿?
ただの夏休みに
金持ちの息子の水浴びを指導する会

約2、3週間我慢したらしいです。


しかし
やればやるほど
知れば知るほど
この国の水泳連盟は腐っている


リオオリンピックで
あれだけパッシングされたのに

水泳連盟の会長のまま居座り
IOCのメンバーである

そして
また自分の子どもをオリンピックに出せれるために
嘘の企画書を作り、JICAボランティアを使って個人レッスンを組む

この国の水泳に未来はない
少なくともこの組織に
金輪際関わりたくないと
ヒガッチは私に電話してきました。

私のチームで一緒に指導するか、
いろいろ悩んだあげく

活動も1年1ヶ月が過ぎ
任国変更を決意し
カンボジアで活動をやり直す決断に至りました。

もっとヒガッチから教えてもらいたい事、質問したい事は山ほどあるし

何よりヒガッチのおかげで
私自身が水泳を好きになれた。

この泳げるようになって
水泳を好きになる感覚をもっと沢山の子供たちにも味わって欲しい

エチオピア水泳連盟に対する腹ただしさは私も分かります。
純粋な思いを踏みにじってくれる
このエチオピアという国

エチオピアで果たせなかった思い
1年間もがき続けた経験が
カンボジアで必ず活きるはず

国は変わっても
この国で一緒に過ごした仲間の旅立ち

カンボジアで心機一転
頑張れヒガッチ!