大会はある?ない?


水泳の全国大会
3月10日→4月14日→5月20→???

新首相決定後も
大会日程は伸び伸びに…

大会はないんじゃないか
そんな空気が流れはじめる

普通に考えたら
国内情勢が不安定なのに
そんな事ができるはずがない

3月末まで頑張って
練習を続けてきた選手達も
モチベーションを失いつつあり
練習に来る選手も少しずつ減っていく

結局
イースター前(断食が明ける)の練習は私入れて3名の練習になりました。

1人でも練習したいと来る子がいれば私はやる。

そう決めているので
別に苦にはならないものの
このまま自然消滅してしまうのか


大会の日程が変わる度に
トレーニングスケジュールを変更して、練習メニューを練り直してと
やってきたけど

どうなるのか
水泳指導以外にも最後やりたい事は沢山ある…

私自身の気持ちも揺れる

断食明けのイベントを控えた4月頭

エチオピア全体がお祭りモードで最低1週間は地元に帰省する選手達の帰りを待ちつつ

まずは
自分の気持ちを切り替える事にしました。


断食前最後の練習
3人になったけどハードなメニューをこなした後の1枚

みんなでまた練習したいな

木製ビート板 完成


1年以上前にこんなの作りたい
と思ったものが遂に完成。

ソケの木で作ったビート板

漁師のイカダに使われてたり、露店のコーヒーハウスの椅子になってたり、エチオピアに来たら良く目にする木材です。

年が明けた1月末に
馴染みのローカルレストランの兄ちゃんが、ソケの木を入手してくれました。

1年前探したけど
一本2000ブル(8000円ちょい)
高すぎて買えない…

今回は50ブル(200円)
で2mの板を購入できました。笑

値段の違い…

良く言えば
エチオピア人は友達になると本当に良くしてくれます。

そこから1ヶ月半ほど乾燥させて
(木材が曲がったりしないように)

加工に入りました。
道具はノコギリ、紙やすり

ただ真っ二つに割られた木材は
表面を滑らかにするだけで大変な作業、それもカンナ無し…紙ヤスリで
両面30cmに2時間かかりました。

そこから
使いやすい形や防水性などを改善していき実用性のあるものが完成しました。

ビート板にも
足に挟んで使うプルブイとしても使えます。

選手達からも良いコメントもらえてよかった!


作成期間中に
木材加工場を見つけて
カンナしてもらえるところもみつ
今後量産する事も可能になりました。



購入したソケの長椅子


30cm毎に切り出し
掴みやすく
足に挟みやすいように
シェイプしていき


60-120-240のヤスリで
滑らかにしていく

こんな感じでシェイプは終わり


防水性を高めや取りきれなかった凹凸を無くすなめに
薄めた木工ボンドを塗り

防水性のニスを塗る(2回)

乾燥

アルバミンチの日差しは凄まじいので直ぐ乾いてくれました。


これを商品化
と考えたこともありましたが

エチオピアに沢山生えているソケ木

身近にあるもので道具は作れる
選手達が地元に帰った時のヒントになってくれれば良いかなと思ってます。

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同期を見送った翌日

任地のアルバミンチへ

渡した練習メニューの効果はどうだろう…
また何人か離脱してるか…
期待と不安


空港着いて荷物置きに家に戻り
直ぐに大学のプールへ

首都で風邪をひいて体調も良くなかったけど

来てよかった
みんな練習してるのが見えた

人数も減ってない


プールサイドに行くと
ちゃんと
私が渡したメニューを見ながら練習を行なってる選手達

あー
メニュー作ってよかった〜

アベラ達ライフセーバーのおかげで、水質も変わらず綺麗

コーチ陣も分からないなりに
選手の要求に応じて
タイム計ったりしてるし

本当に嬉しい光景

選手達にお願いされてた
スイミングキャップもちゃんと持参

取り合いになるも
ちゃんと人数分あってよかった

ありがとう
と言われ

次いつ首都に行くの?
と質問がきた

もう日本の帰国まで暫くはここにいるよ
と答える

選手:アリフノ(Good)

この言葉だけで
選手が自分の帰りを待ってくれていたのが伝わってきて

じーん
ときました。

帰ってこれてよかった〜
みんなと再会できて
ここが自分のHOMEなんだと感じました。

4月予定の大会…(3月予定が延期され)
また更に延期が決まったよう…

頑張ってる選手たち…

コーチ陣は大会中止もあり得ると落胆している

まぁもう仕方ない
可能性があるなら練習を続けるだけ

でも大会はあって欲しい
私が渡した練習メニューの半分できてたら上等と思ってたけど

明らかに泳ぎが変わってる選手もいる

まだまだ伸びる

週末のタイム測定では
多くの選手が自己ベスト更新

間違いなくエチオピアNo1のタイムをだした選手もいました。

凄いなー
ワラカツ(練習メニューの紙)1枚で
もう練習が成り立つようになっていている

ベンチに座って練習風景をみながら

理想の形だなーと
ちょっと浸りました。

帰ってこれて本当によかった
選手や同僚達からもらったパワーで残り3ヶ月頑張ります!





メニュー見ながら練習する選手達

再会を記念に集合写真

同期の帰国


3/20
6名の同期隊員が任期を満了し日本へ帰国しました。

協力隊には
現職参加制度というものがあって
職場を休職してボランティアにこれるというものです。

基本的に派遣中の待遇などは変わりませんが

研修期間を含む2年間のとなっており、同時期の派遣でも若干早く帰国します。

2016年6/29に
19名でエチオピアに着任

人数が多くて大変でしょうと
思われがちでしたが

本当仲良くやってきました。

エチオピアって…
一歩外に出るだけで
嫌…外に出なくても
ストレス溜まるし

ハベシャ(エチオピア人)は
理解出来ない行動をとる…

そんな事も
愚痴をいいながら
ここまでやってきて

ここで生活する難しさを共有してきた仲間達


今回帰国した6名はみんな教員で

教育や子供に対しての愛情やパワーがめちゃくちゃある人達でした。

普段は

心にもない事を…
口開いてるよ!
2日酔いですか?
奥さんに言っちゃいますよ
ちゃんと一回で聞いて
やっぱ変態ですね。


てな感じですが

仕事スイッチが入ると
止められない

活動報告会も観る事ができて

エチオピアの学校で
いろんなアプローチをしてて、参考になるアイディアが沢山ありました。

エチオピアも日本も子供は変わらない
教育を受ければ子供たちは成長する
そうすれば国も少しずつ変わる

普段の活動でも感じている事ですが
この国で1番必要な支援は間違いなく
教育だとわたしは思います。


私は地方配属で同期と会う機会は多くありませんでしたが
3ヶ月の退避期間中だったり
首都に上がる度に同期が迎えてくれたり、何かあったら電話して
いつも助けてもらってました。

帰国前の最後の金曜日は
BBQ

前日から
赤ワイン、醤油、砂糖、ニンニク、生姜、リンゴの特製ダレに漬け込んだ肉は

自分でも驚くほど美味くて
同期みんな喜んでくれました。

日本に帰れば忙しくて
全員が集まれる機会なんて中々ないんだろうな

日本ってどんなやったけ?
温泉いいなー
最初に行くラーメン屋は決まってるとか

本当楽しい時間でした。

空港での見送りは
何か実感が湧かずにいたものの

みんながいなくなった
ドミトリーはガランとして、やっぱり寂しく感じました。


6人が帰国した翌日から
私のエチオピア生活も残り100日を切りました。

悲しんでいる暇もない
残り100日やり切るのみ!

私も6人の同期のように
任期満了して元気に日本にかえります!



空港での見送り

上が2016年7月
下が2018年3月

やれる事をやるだけ


3月中旬
同期の帰国とアムハラ語研修で10日程、任地を離れる予定を立てていました。

ここでずっと不安だったのが
教えてる選手達がまたいなくなってしまう事…

1月末から私がメニューを組むようになって皆んな練習を楽しんでくれるようになりましたが

私がいないと
休むな
もっとだ
スピードをあげろ…
2時間言いまくるだけの練習

私が留守の間もちゃんと練習を行うにはどうすべきか

Fr short クロール短距離
Fr long クロール長距離
Br 平泳ぎ
Ba 背泳ぎ
Fly バタフライ

毎日この5種目のメニューを作っていたんですが

これを2週間分作る事に決めました。
そして
メニューの紙を見たら
選手達だけで練習が出来るように指導を繰り返しました。


5種目×2週間(12日分)日曜:休み
60個のメニュー作成…

頭から煙りが出ながらの作業

もともと水泳指導とか水泳自体知らない私は毎日各選手の課題を見つけて改善できる練習ドリルを調べて試す、また調べては試す事を繰り返しており

5つのメニュー作るだけでも相当な時間を要してました。

4月の大会に向けて
大事な時期にチームを離れる事は避けたかったんですが

メニュー60個作り
選手たちを信じる事にしました。

出来る事はやった
また選手は減るかもしれないけど
自分の中で後悔しないように
やれることはやり尽くす

そして
もう一つ不安だったのが
この時期、エチオピアは首相後任が決まったばかりで治安が不安定

一度任地を離れたら退避命令が出て、任地に戻れない可能性もありました。

なので
2週間分のメニュー を手渡し後

お別れの挨拶も行いました。

いつも私が任地を離れる度に
離脱する選手達
お別れの言葉するかけてあげれずにいました。

今回は私がいなくなる可能性の方が高いんですが…

君達だけでもう十分やっていける
自信をもって
4月の大会は必ず勝てる!
ロードブロックが解除されたら
戻ってこれるから祈ってて
もし戻ってこれなくても
君達が家族持って子供が出来た頃、またエチオピア来るからさー

と冗談交じりに挨拶


10日後に再会できるか
不安を感じながらも首都アディスアベバ行きの飛行機に乗り込みました。


何とか作りあげた練習メニューの一部

Real professor


プールに大量発生した藻
いろいろやってみて
水を全部入れ替えてもダメ

お手上げになり
大学内のWater technology department に藻のサンプル片手に訪ねてみました。

笑顔で迎え入れてくれたのは
Dr.Kinfe

サンプルを見るなり

これは藻だね…
銅を入れるとよい

でも銅は有害じゃないんですか?

ちょっと待ってね
資料があったはず

飲料水にも銅は含まれているよ
WHO:1.0ppm/L

以前、硫酸銅を使っていたんですが
銅が有害だと知り使わないようにしたんです

では硫酸銅の銅の含有量から
適正量を出してみようか

その場で分かりやすく
計算

うん10kgは硫酸銅入れても大丈夫だね!

この藻を殺すには銅が必要だと思うよ。

その後も
プールに来てくれ状況を確認して
藻を発生させないようにする事が何より大事

塩素濃度が0.3ppmになるように毎日塩素入れなさい

あーなるほど

これまで素人ながら
いろんな資料に目を通してました。
確かに0.3ppmで殆どの細菌は殺す事が出来る

盲点でした!
これならいけるかも

そして何より
エチオピア人からエチオピア人に説明すると理解が深い

ライフセーバー達も納得


エチオピアの教授って肩書きだけ…
そんなイメージでしたが
(これまでいろいろあったので、教授と名が付く人達とは関わらないようにしてました。)


アルバミンチ大学にもちゃんと専門性のある大学教授がいました。
それもとても良い人


・塩素は0.3ppmを維持
硫酸銅10kgまで
・ラボでの月2回水質検査

本当に的確なアドバイスを貰えました。

1月に水を再度入れ替え
このアドバイスに従って
2月も終わりになりましたが
とてもとても綺麗な水を保ててます。

体調を崩す選手も殆どなくなり
私も気持ちよくプールに入って指導ができるようになりました。


理科隊員、JICAの水質関係者
これまで沢山の方に今回の件も含めてアドバイスや意見をもらってきました。

いろんな見解をもらえて
いろんな角度から薬品や水質について考えを深める事ができました。




綺麗なプールはやっぱりいいですね。本当に感謝感謝です。

そして
大学内で他の部署と関係がつくれ、私無しで今後も水質維持できるベースが整いつつあります。

答えは決まっていても
時間をかけて記録をつけたり、話しあったり沢山トライしてきたから

教授の言葉にも納得

後は
定期的な水質検査が実際に行われる事を見守ること

素晴らしい人と出会えました。

クンフォ教授
ありがとうございます


何をしにきたのか 何ができるのか

昼食に肉が食いたくなり
同僚に最近紹介してもらったローカルレストランに1人で出かけました。

食事をしていると

ストリートで暮らしているであろうボロボロの服を着た5歳くらいの子供3、4人が見えました。

店の入り口側ので食事を済ませた人が手を洗いに立ち上がった時を見計らい
皿の上にあった肉のついていない骨に群がり

店の人はそれを見て
子供達を追い払う

私の皿の上には
炒められた肉がのっている

この肉あの子達に食べさせる…

でも自分も腹が減っている

私は皿に乗った肉を腹一杯食いました。


食べながら
俺は何しにきたんだろうか

エチオピアにきて
水泳やライフセービングを教えて

同僚達や選手たちも自分を必要としてくれている

毎日嬉しい忙しさに追われて
充実した生活


でも
水泳教えるより
この子達に肉をパンを食べ物を提供して、お腹を満たしてあげる方がよっぽど今のエチオピアには必要な事なんじゃないだろうか


ただ
ここで子供達をよんで食事を与えたら、人が人をよんで一瞬で食べ物の奪い合い、わたしも僕も、みんなが自分に言い寄ってくる事が想像できてそれをしない自分。


腹が減って
肉が食いたい

私も子供たちも同じ感情だったのに

何が違うのか

仕事して金を稼ぐ
学校にいって教養をつける


その両方とも彼等には出来ない

わたしは当たり前に学校にいって
勉強して大学まで出させてもらって
ここにいる。

自分が彼等だったらどうするか

骨でもかぶりつきたくなる

金を持ってそうな人がいたら
金をくれという


何も変わらない
この差は何なのか
何しにきたのか

エチオピアで2年近く過ごして
いろいろやってきたつもりだったけど

降り出しに戻ったような
気がしました。

モノを与える
教育
支援

いろんな捉え方、考え方
やりようはあるんでしょうが

自分の感情だけをここでは書きました。

何しにきたのか、何ができるのか
もう一度考えます。